雑司が谷霊園

2011年10月31日

紅葉雑司が谷霊園_1雑司が谷墓地秋風景紅葉雑司が谷霊園_2








毎日見ている風景ですが今日はつい足を止めて写真を撮りました。手近な自然ですが十分季節を感じられます。

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2011年06月02日

中浜万次郎墓_1中浜万次郎墓_2












中浜万次郎(ジョン万次郎)の墓
雑司が谷霊園
東京都豊島区南池袋4-25-1 
1種15号19側1番
03-3971-6868


こんな所に眠っていました。
中浜氏とあります。この方の数奇な人生は中学校の英語の教科書にもなっていました。
「1841年(天保十二)14歳のとき土佐の中の浜から漁に出た切り途中嵐に遭遇
アメリカの捕鯨船に助けられそのままアメリカへ渡って教育を受ける。
帰国後幕府に重用され明治維新〜明治日本の近代化に貢献する。」

ジョン万次郎物語(フィクション)


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2011年05月30日

千葉貞吉・重太郎
坂本龍馬の剣術の師匠である千葉定吉とその息子 重太郎親子の御墓です。没年が明治18年とありお二人とも同年にお亡くなりになっているようです。お二人のみならず千葉家代々のお墓です。
千葉定吉さんは北辰一刀流 千葉周作の弟。娘に坂本龍馬の婚約者であったとも言われている千葉さな子がいる。

近くに霊園事務所有るのでそちらで霊園mapを取得すると判り易いです。

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千葉定吉重太郎 千葉家@雑司ヶ谷霊園
豊島区南池袋4−25−1
1種西6号6側 付近


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2011年05月20日

東條家墓
太平洋戦争へ日本が突入する事になった時の内閣総理大臣兼陸軍大臣。
東条英機さんの事は多くを語らなくても日本人は皆 知っている方です。

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雑司が谷霊園
1種1号13側7m入る
東條家


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2011年05月06日

霊園事務所_1
雑司ヶ谷霊園は都営霊園だがその歴史は古い。
明治7年よりこの場所に有り拡張とともに現在の広さになった。
著名人のお墓もそこかしこにあるが どの墓も古い。
明治期に亡くなられた軍人さんも多く ◯◯大将 と ◯◯歩兵 が隣同士だったりもする。
日清・日露での戦没者なのだろうかと思いを馳せながらの散策も一興。
霊園事務所_2
夏目漱石 泉鏡花 小泉八雲 竹久夢二 等の文化人やジョン万次郎 千葉定吉・重太郎 鬼あざみ 東条英機 等近代歴史上の人々のお墓もある。

そこで正しい雑司ヶ谷霊園の正しい歩き方をレクチャーする。

まずは雑司ヶ谷霊園管理事務所へ行き 霊園MAPをゲットするべし!
ここに著名人の墓がどこにあるか記されているばかりかその人がどのような偉人であったか生前の業績が記されている。
霊園map

雑司が谷歴史学者の矢島勝昭さんが作成されたもっと詳しいリストが雑司が谷旧宣教師館にあるのでそれを参照する方法もある。
雑司が谷旧宣教師館(入園無料)は霊園より5分の位置にあるので立ち寄ると尚楽しい。

昼時は雑司ヶ谷霊園管理事務所横にある うなぎ江戸一 を利用するのが楽。
うなぎ江戸一はこの場所で長く営業している地元の味だ。

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雑司ヶ谷霊園管理事務所
東京都豊島区南池袋4−25−1
03-3971-6868
8:30〜17:30(土日祝日除)


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2010年10月26日

9bd49c65.jpg〒 171-0022
東京都豊島区南池袋4-25-1
03-3971-6868


将軍の御用屋敷や鷹狩りのための居留池があった場所で、明治時代になり墓所のない市民のための共同墓地が造営された。文京区に境を接する南池袋4丁目の大半を占める広い敷地をもち、静かに散策を楽しむには最適な場所。有名人の墓も多く、夏目漱石、小泉八雲、永井荷風などの文人、竹久夢二、東郷青児などの画家、漫画家のサトウハチロー他にも東條英機やジョン万次郎ももここに眠っている。春の花 秋の紅葉も楽しめ季節を感じられる場所です。朝ウォーキングをしたり散歩をしたり都心にこのような場所があるのですから不思議です。






夏目家の墓_1
夏目漱石 の墓
雑司が谷霊園 1種14号1側3番

漱石の作品「こころ」に雑司が谷が頻繁に出てきます。
大きい墓です。いつもきれいに掃除されていて花が絶えません。





夏目家の墓_2
大正 五年 十二月 九日没 俗名夏目金之助 とあります。










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2007年11月20日

雑司が谷霊園11.9_1雑司が谷霊園
東京都豊島区南池袋4-25-1

だいぶ色付いてきました。
池袋東口から徒歩12〜3分のところにこれだけの景観があります。
木漏れ日が秋だな〜っと感じさせてくれますね。
今週末天気なら墓巡りでもしながら出かけてみてはいかがですか。

雑司が谷霊園11.9_2






雑司が谷霊園11.9_3
なるべく上を見てください。青空と紅葉とエアライズタワーがなんともアーバンな風景を醸し出しているのが体感出来るでしょう。







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2007年06月23日

東郷青児墓_1東郷青児
雑司が谷霊園 
東京都豊島区南池袋4-25-1
1種15号19側3番

東郷 青児(とうごう せいじ、1897年4月28日 - 1978年4月25日)は日本の洋画家。本名は東郷 鉄春。
独特のデフォルメを施され、柔らかな曲線と色調で描かれた女性像などが有名だが、通俗的過ぎるとの見方もある。後期には版画や彫刻も手掛けた。
東郷青児の詳しい情報はこちら
損保ジャパン東郷青児美術館

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2007年06月22日

島村抱月_1島村抱月_2












島村抱月
雑司が谷霊園
東京都豊島区南池袋4-25-1
1種16号2側12番


1871〜1918(明治4〜大正7)文学者・評論家・新劇運動家。島根県生まれ。本姓は佐々山,島村家の養子となる。本名は滝太郎。東京専門学校(早稲田大学)文学科を卒業後,「早稲田文学」の編集者・「読売新聞」の記者・母校の講師をへて,1898年(明治31)三省堂の辞書編集に携わる。

島村抱月の詳しい情報はこちら
作品情報は
こちら

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2007年06月20日

御鷹部屋_1御鷹部屋
1種4号3側28番


この地が雑司が谷霊園になる遥か昔江戸時代中期に御鷹部屋と言う小屋があったそうです。年号が享保と言う事は徳川吉宗が将軍であった頃ですがその将軍が仮想敵を定めて軍事訓練を兼ねてたぬきや野鳥やその他の野生動物を猟る事を鷹狩りと云います。この辺りはその鷹狩りの御料地だったのでしょうか。
御鷹部屋_2掲示内容
「このあたりには、江戸時代中期の享保四年(1719年)以降、幕府の御鷹部屋がありました。御鷹部屋には鷹匠頭をはじめ目付 同心など常時七、八十名がおり、鷹狩りに用いる鷹の飼育や訓練等を行っていました。
また、鷹狩りの際には将軍が立ち寄って休息したり食事をとったりしたこともあったようです。
御鷹部屋敷地内には松の木がありました。この松の木は当時の様子をしのばせてくれます。」


この松の木がその木です。この掲示のすぐ後ろにあります。


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