2010年04月13日

「名も知れず地中に眠る犠牲者を悼む小さな会」

南池袋公園_1豊島区立南池袋公園
東京都豊島区南池袋2-21-1


この公園に来たのは久しぶだ。横の道は良く使うがどうも中へ足を踏み入れる気になれない。
何故かと考えてみると余り健全で無いからかも知れない。
それ以外に理由が見つからない。
昼間は浮浪者風の男がずっとベンチに座っているし夜はカップルがゴソゴソ何か動いているし一人でぶらりと入っても落ち着けない雰囲気がある。
南池袋公園_2逆に見るとカップルや浮浪者には都合が良い所だ。死角になっているエリアが多くベンチも多い更に噴水が妙な雰囲気を醸している。
でもこの公園は年代によっては様々な思い出が有るようだ。
近所の70代のおばあさんは戦争中まだ子供の頃この公園(当時は雑木林だったかも)に空襲で黒こげになった身元不明の死体が山積みになって放置されていた光景が頭から離れないと教えてくれた。
現に公園の隣にあるビルの建設現場から無数の人骨がみつかったと別のじいさんから聞いた事が有りその話とも合致する。
南池袋公園_3この公園は何か曰く付きの場所かもしれない。

施設は ブランコ 4 滑り台 2 鉄棒大 3 鉄棒小 3 砂場 1 公衆トイレ 1 その他にキャッチボールが出来るエリアが1 但しバットの使用及びサッカーは禁止南池袋公園_4

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ちょうど65年前の4月13日の夜、城北大空襲と呼ばれる空襲が北区 豊島区周辺を襲った。
襲来した米軍機B29は325機 焼夷弾約2千トン 空襲時間3時間半は3月10日の東京大空襲を上回る。
豊島区だけで778人が犠牲になったそうだ。
犠牲者達を悼む会が南池袋公園で開かれた。
ここ池袋東口一帯には戦前根津山と呼ばれた高さ10mほどの小高い雑木林が広がっていた。
空襲後は犠牲者の仮埋葬地となった。遺体が次々と運び込まれ、その後別の場所に本葬された。
所が根津山跡に出来た南池袋公園の改修工事をした74年に相当数の白骨が発見されそのまま埋め戻された。(朝日新聞記事引用)
その頃の事をご存知の人達が集まってこの会が始まったとの事です。
そんな歴史があったんですね。


brohiro at 17:55コメント(2)トラックバック(0) 
公園 

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コメント一覧

1. Posted by FD   2010年04月14日 16:31
私も朝日新聞記事を読み,初めて知りました.
歴史的な意味合いのある場所は,モニュメント等がないかぎり忘れ去られていきがちですが,記憶を持っている人がいるうちに,後世へ伝える工夫をしたいものですね.
いまは取り壊されてマンションになっていますが,サンシャイン西友店の横にあったホースニュース社の社屋は,巣鴨プリズンに収監されている人への面会者が差し入れを購入する店舗だったとか.
年輩のタクシー運転手さんは坂下通りのことを「拘置所通り」と言ったりもしますね.
2. Posted by brohiro   2010年04月14日 17:30
ホースニュース社(競馬新聞)。ありましたねこの間迄。オイラは巣鴨プリズンの赤レンガの壁を今でも覚えています。

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